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記憶喪失

数日経っても、夫の様子は変わらなかった。
私のことは結婚前の友達だった頃の私という認識で、私がいつも連れてくる赤ちゃんが、二ヶ月前に生まれたばかりの自分の娘だとはわからない。
自分が社会人になったことも、私と結婚したことも、娘が生まれたことも、忘れていた。自分の仕事のこともわからなくなっており、仕事中に自分が事故を起こしたことさえ、覚えていなかった。
夫は、自分は大学生で、福岡に住んでいる、と認識していた。


医師には「逆行性健忘症」と診断された。いわゆる記憶喪失である。
記憶は戻るかどうかも、いつ戻るかもわからない、と言われた。
CT検査では異常はなかったが、念のためMRI検査もした方がいいとのことで、大きい総合病院への転院を勧められた。


転院してからは家から遠くなり、毎日病院へ通うのはなかなか大変だった。その頃は、義母や義姉、自分の母などが、入れ替わり立ち替わり水戸まで来てくれて、しばらくの間泊って娘の面倒や家事を手伝ってくれた。


検査では異常はなく、間もなく退院となったが、なにしろ仕事のことを覚えていないのだから、すぐには職場復帰が出来ない。仕事中の事故だったので、会社側は労災で対応してくれて、しばらくは自宅療養ということになった。


退院してからは、ふたりで行ったことのある場所に行ってみたり、友達に訪ねてきてもらったり、記憶を取り戻すために出来ることはないかと手探りの毎日だった。
福岡の夫の実家に帰り、九州大学の大学病院で検査や診察を受けてみたりもしたが、これといって原因がわかるわけでもなく、記憶も一向に戻る気配がなかった。


この頃私は、突然鼻血が出たり、じんましんが出たり、風邪をひいても咳が長引いてなかなか治らなかったり、体調のすぐれないことが多かった。
記憶はいつ戻るかもわからない、夫の仕事はどうなるかもわからない、先の見えない不安。
娘が生まれてから気づかぬうちに毎日の生活の中で夫に負担をかけていて、そのせいで夫は疲れていたから事故を起こしたのではないか、だとしたら自分のせいだ、という自分を責めるような気持ち。
初めての子育てにも、いろいろ不安があったし、慣れないことばかりで心身共に疲れがたまっていたのだろうと思う。


事故から三ヶ月が経ち、記憶は戻らないものの体は元気だった夫に、会社から東京への転勤の辞令がおりた。新しい部署で新しい仕事を一から覚えてもらうという形で、仕事に復帰するように、ということだった。


12月に入っており、慌ただしく引越しの準備が始まった。夫が引越し先を決めるために、ひとりで東京へ行って部屋を探したり、引越し屋さんを手配したり、荷物を整理したり。
引っ越しする日は確かクリスマス頃だったように思う。朝から引っ越し作業に追われ、車で埼玉の浦和に向けて出発したのは夕方近かった気がする。
徐々に暗くなっていく中、私は不安と希望の入り混じった気持ちで、車に乗っていた。
水戸をこんな形で去るとは、思ってもみなかった。短い間だったが、新婚の楽しかった思い出も多い。いつかこの町を再び訪れることはあるのだろうか。。。


浦和に着く頃は夜も遅くなっており、引っ越し屋のトラックが荷物を運び入れるのは翌日になっていたので、その日は駅前のホテルに泊まることになっていた。
ホテルに泊まった夜、思いがけず思い出が出来る。娘がホテルのベッドの上で、ころりと初めて寝返りを打ったのだ。
体が大きめだった娘は、重くてなかなか寝返りが打てなかったようで、普通だったらとっくに寝返りが出来ているような月齢になっていた。嬉しい成長の証だった。
今思えば、あの重苦しい日々の中での喜びの思い出で、とても懐かしい。


年末は荷物整理に追われ、あっという間に1993年が明けた。夫は仕事始めからの職場復帰。浦和から新宿へ埼京線で通勤する、という毎日が始まった。私も新しい土地での新しい生活がスタートした。


職場復帰から約三週間が経った頃、夫が日曜日に千葉の工場での仕事が入ったと言う。
朝から電車に乗って出かけた夫だったが、帰ると言っていた時間になっても、帰ってこなかった。
当時は携帯電話もない時代。心配になり、部屋の窓から見える埼京線の高架を電車が通るたびに、この電車に乗ってるに違いないと期待しながら待ったが、やはり夫は帰ってこない。
本気で心配になり始め、隣の市に住んでいると聞いている夫の新しい直属の上司の自宅に電話をしてみようか、と思い始めた時、電話が鳴ったのだった。




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